「ナイチンゲール神話と真実」について
2008/05/11 07:31:53
「ナイチンゲール神話と真実」を読んだ
ヒュー・スモール 著、田中京子 訳、みすず書房から出版されたものである。
この本を読むには、注意が必要であると感じた。
「ナイチンゲール神話と真実」というタイトルから想像するのは
この本がナイチンゲールの神話的な部分と
真実の違いについて述べたものではないかということであろう。
しかし、気をつけて欲しい。
この本は、真実を述べたものではないのである。
文章に注目してみよう。
「~かもしれない」
「~だろう」
「ちがいない」
この本は、さまざまな資料を基にした事実から組み立てた
著者の推論と感想からなっているものなのだ。
著者自身、真実を述べているのではなく
「謎の答えを見出そうと試みたもの」と言っていることからも明らかだ。
ナイチンゲールの真実を知るためには、まず彼女の著作を読むことをオススメしたい。
特に、「ナイチンゲール神話と真実」を読むには「ナイチンゲール著作集」を読むことが
必要不可欠ではないだろうか。
ヒュー・スモールの見解には賛成できない部分が多くあるからだ。
例えば、P.158で彼はこう述べている
『「看護覚え書」は、実際のところ反医師、反病院、反病院看護の宣伝だった』(「ナイチンゲール神話と真実」より引用)
しかし、「看護覚え書」を見れば解る通り、ナイチンゲールはこう書いている。
「これは、他人(ひと)の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたい、という、ただそれだけの目的で書かれたものである。」(「看護覚え書」より引用)
この、どこが反医師、反病院、反病院看護なのだろうか?
ヒュー・スモールは「この本は、病人を家庭で看なければならない奉公人の女性を対象にしている」(「ナイチンゲール神話と真実」より引用)とも書いている。
あなたは、そう思うだろうか。次のナイチンゲールの文章を読んで欲しい。
「あるいは少なくともほとんどすべての女性が、一生のうちに何回かは、子供とか病人とか、とにかく誰かの健康上の責任を負うことになる」(「看護覚え書」より引用)
このどこをどう読めば「奉公人の女性を対象に」という言葉が出てくるのであろうか。
「看護覚え書」は、すべての女性に向けての看護する際のヒントとして書かれたものであって
反医師、反病院、反病院看護の本ではありえない。
私は父を在宅で介護した経験がある。
オムツ交換はもちろん、鼻からチューブを差し込み痰を吸出し
胃に挿したチューブが抜けたときには、おなかの穴がふさがらないようにチューブを挿し
肛門に指を入れて便をかき出したりもした。
ただれて骨がむき出しになった指の洗浄、消毒もやった。
何の専門知識もないままにである。
これらは、反医師、反病院、反病院看護のためにやったのではない。
やらざるを得ない状況に置かれたからだ。介護や看護は突然やってくるのだ。
ナイチンゲールはこうも書いている
「日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気にかからないような、あるいは病気から回復できるような状態にからだを整えるための知識は、もっと重視されてよい。こうした知識は誰もが身につけておくべきものであって、それは専門家のみが身につけうる医学知識とははっきり区別されるものである。」(「看護覚え書」より引用)
医学知識と区別されるというのは
家庭における看護・介護は、生活の一部だからだろう。
家の換気をよくし、清潔に保つために掃除をする。
これは、愛する家族の健康を守るために行うことであり、反医師、反病院、反病院看護ではない。
こうしたことから見ても、「ナイチンゲール神話と真実」は
よくよく注意して読まなければならない本だといえるのではないだろうか。
5月12日は、ナイチンゲールの誕生日だ。
彼女が命を尽くして訴えたことが、医療関係者のみではなく多くの人々に届くことを祈ってやまない。
そして、そのために、そういうものを書きたいと強く思っている。
ヒュー・スモール 著、田中京子 訳、みすず書房から出版されたものである。
この本を読むには、注意が必要であると感じた。
「ナイチンゲール神話と真実」というタイトルから想像するのは
この本がナイチンゲールの神話的な部分と
真実の違いについて述べたものではないかということであろう。
しかし、気をつけて欲しい。
この本は、真実を述べたものではないのである。
文章に注目してみよう。
「~かもしれない」
「~だろう」
「ちがいない」
この本は、さまざまな資料を基にした事実から組み立てた
著者の推論と感想からなっているものなのだ。
著者自身、真実を述べているのではなく
「謎の答えを見出そうと試みたもの」と言っていることからも明らかだ。
ナイチンゲールの真実を知るためには、まず彼女の著作を読むことをオススメしたい。
特に、「ナイチンゲール神話と真実」を読むには「ナイチンゲール著作集」を読むことが
必要不可欠ではないだろうか。
ヒュー・スモールの見解には賛成できない部分が多くあるからだ。
例えば、P.158で彼はこう述べている
『「看護覚え書」は、実際のところ反医師、反病院、反病院看護の宣伝だった』(「ナイチンゲール神話と真実」より引用)
しかし、「看護覚え書」を見れば解る通り、ナイチンゲールはこう書いている。
「これは、他人(ひと)の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたい、という、ただそれだけの目的で書かれたものである。」(「看護覚え書」より引用)
この、どこが反医師、反病院、反病院看護なのだろうか?
ヒュー・スモールは「この本は、病人を家庭で看なければならない奉公人の女性を対象にしている」(「ナイチンゲール神話と真実」より引用)とも書いている。
あなたは、そう思うだろうか。次のナイチンゲールの文章を読んで欲しい。
「あるいは少なくともほとんどすべての女性が、一生のうちに何回かは、子供とか病人とか、とにかく誰かの健康上の責任を負うことになる」(「看護覚え書」より引用)
このどこをどう読めば「奉公人の女性を対象に」という言葉が出てくるのであろうか。
「看護覚え書」は、すべての女性に向けての看護する際のヒントとして書かれたものであって
反医師、反病院、反病院看護の本ではありえない。
私は父を在宅で介護した経験がある。
オムツ交換はもちろん、鼻からチューブを差し込み痰を吸出し
胃に挿したチューブが抜けたときには、おなかの穴がふさがらないようにチューブを挿し
肛門に指を入れて便をかき出したりもした。
ただれて骨がむき出しになった指の洗浄、消毒もやった。
何の専門知識もないままにである。
これらは、反医師、反病院、反病院看護のためにやったのではない。
やらざるを得ない状況に置かれたからだ。介護や看護は突然やってくるのだ。
ナイチンゲールはこうも書いている
「日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気にかからないような、あるいは病気から回復できるような状態にからだを整えるための知識は、もっと重視されてよい。こうした知識は誰もが身につけておくべきものであって、それは専門家のみが身につけうる医学知識とははっきり区別されるものである。」(「看護覚え書」より引用)
医学知識と区別されるというのは
家庭における看護・介護は、生活の一部だからだろう。
家の換気をよくし、清潔に保つために掃除をする。
これは、愛する家族の健康を守るために行うことであり、反医師、反病院、反病院看護ではない。
こうしたことから見ても、「ナイチンゲール神話と真実」は
よくよく注意して読まなければならない本だといえるのではないだろうか。
5月12日は、ナイチンゲールの誕生日だ。
彼女が命を尽くして訴えたことが、医療関係者のみではなく多くの人々に届くことを祈ってやまない。
そして、そのために、そういうものを書きたいと強く思っている。
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